写真 |
ロープーウェー下 |
駅付近 |
駅付近 |
西の丸手前 |
西の丸手前 |
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西の丸 |
西の丸 |
西の丸 |
西の丸 |
北の丸に向かう |
北の丸に向かう |
北の丸 |
北の丸(安土山?) |
本丸に向かう |
瑞龍寺説明 |
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本丸石垣右 |
本丸石垣左 |
真正面石垣 |
枡形からの門 |
瑞龍寺 |
本丸 |
本丸 |
本丸 |
下山道 |
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昔からの石段か? |
竹林の中の石垣 |
秀次公像 |
説明版 |
公園内 |
公園石碑 |
八幡堀 |
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城名 |
八幡山城(はちまんやまじょう) 山城 |
別名 |
近江八幡城 |
建築年代 |
1585年(天正十三年) |
築城者 |
豊臣秀次 |
文化財指定等 |
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住所 |
滋賀県近江八幡市宮内町 |
地図 |
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最寄り駅 |
JR東海道本線近江八幡駅からバス大杉町下車 |
歴史 |
豊臣秀吉の嫡子として秀次が近江四十三万石の領主に封ぜられたのは、天正十三年八月で、十八歳の青年大名であった。築城にあたり蒲生・神崎・野洲一円から多くの人夫を動員した。八幡城は東西に内湖を持ち、南には平野が広がり戦略的要衝であった。対面には安土城が有る。築城と共に城下町の育成に情熱を注ぎ、内堀には琵琶湖から水を引いた八幡堀を巡らせた。これは単なる城の濠ではなく琵琶湖に通じる濠として商業上の発展を計算に入れている。楽市楽座の善政をしき近江商人の発展の基礎を作った訳だ。城がある八幡山は別名鶴翼山(かくよくさん)と言われ鶴が両翼を広げた姿に似ているからだという。標高は286m。
天正十八年、秀次は百万石の太守として尾張清洲城に封じられ、その後京極高次が二万八千石で入封したが、1595年(文禄四年)大津城に移封。その年の七月秀次は秀吉に高野山に追われ自害させられた。金瓦で葺かれた天守や殿舎は、秀次の失脚と共に失われた。 |
感想 |
山頂まではロープーウェイで行くことが出来る。行きはロープーウェイを使用し帰りは徒歩で下山した。みんな往復券を買う中恥ずかしい(^^;;; 下りると直ぐに石垣が目に付く。順路に沿って歩くと北の丸・西の丸と案内板が表示される。西の丸からは安土山・観音寺山も確認出来る。そのまま進むと八幡山頂上に着き村雲御所と言われる瑞龍寺がある。周囲は石垣で固められ、入口は枡形虎口となっている。ココがかつての本丸跡だ。ロープーウェイの入口をかすめて下山する。途中で人を一人抜いたがその他の人影は確認出来ず(^^;;; 道の左手は急斜面となる。所々昔からの石段では無いかと思われる所も見られた。麓に近づくと竹藪の中に石垣が見える。かつての御殿跡であろうか?調査不足である。そのまま下りると八幡公園に出た。ココには秀次公の像が建っている。商業の発展に寄与した秀次公は現在でも慰霊祭が行われるほどなので善政の英雄なのであろう・・・八幡堀の跡は今でも桃山時代の歴史を感じる事が出来た。 |
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城攻め4弾 姫路・彦根・安土・観音寺の旅 |
伝説等 |
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勝手にリンク |
滋賀県安土町町役場
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攻城日 |
01.10.07 |