写真 |
安土町立城郭資料館 |
安土町立城郭資料館 |
安土町立城郭資料館 |
安土山 |
安土山案内石碑 |
麓の削平地 |
大手門跡付近 |
大手道説明 |
見学ルート |
大手道 |
前田利家邸説明 |
前田利家邸 |
櫓門跡説明 |
櫓門跡 |
羽柴秀吉邸跡 |
羽柴秀吉邸説明 |
羽柴秀吉邸復元図 |
大手道 |
織田信忠邸跡 |
大手道 |
黒金門付近 |
黒金門跡 |
黒金門枡形 |
黒金門説明 |
城址主要部 |
仏足石 |
本廟碑 |
御廟 |
二の丸 |
二の丸 |
本丸 |
本丸説明 |
天守虎口 |
天守虎口 |
天守台 |
天守礎石 |
天守からの展望 |
二の丸虎口 |
二の丸虎口付近 |
供養塔説明 |
信雄公四代の墓 |
三重の塔 |
城址碑 |
搦め手の登り口 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
信長の館 |
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城名 |
安土城(あづちじょう) 山城 |
別名 |
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建築年代 |
1576年(天正四年)正月17日 |
築城者 |
織田信長 |
文化財指定等 |
特別史跡 |
住所 |
滋賀県蒲生郡安土町下豊浦 |
地図 |
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最寄り駅 |
JR東海道本線安土駅 |
歴史 |
標高199メートルの安土山に信長が築城の工事を起こした。当時の信長は尾張・美濃・伊勢・越前・近江等を勢力圏にし、これを支配するには居城の岐阜城では東に位置しすぎていた。築城の前年には信長は動く腹を固めていたようだ。そして信長らしい行動を取る。嫡子信忠に家督を譲り、岐阜城を去り重臣の屋敷に引き移る。この時、茶道具だけを携えた身軽な姿で有ったという。家臣にとってはサッサと新城を作れと尻を叩かれている様なモノであった。天下布武の構想に燃えた信長は丹羽長秀を普請奉行にして工事を進め、山に安土寺が有ったことからこの土地を安土と改めた。信長が工事を急がせた為、着工後わずか一ヶ月の後の二月には早くも仮橋が出来、早々に岐阜城から移っている。四月にはいると築城の為、近国・畿内などの諸侍が動員されたほか、京都・奈良・堺の大工、諸職人も動員され、城内の石垣を築く為観音寺山、長命寺山、長光寺山等から石を引き出したという。石の中には蛇石という大石があり、一万人が三昼夜掛かってようやく運んだという。兎に角働ける者は、何らかの道具を持って動員され、僧侶であっても免除されなかった。三月末には基礎工事が完了し、翌月には天守閣と石垣の工事を開始した。当時の安土城は、琵琶湖最大の伊庭内湖の東に突き出ていて、南側に内堀を設けていた。京都に近く水運に恵まれ、単に軍事的に要衝であったばかりでなく経済的にも将来の発展を約束する地の利を得ていた。竣工した天守閣に移り住んだのは天正七年五月十一日。1582年(天正十年)六月に本能寺で信長が倒れると、明智光満が入ったが、山崎の決戦後の六月十五日、安土城は焼かれてしまう。
消失させた犯人は信長の子信雄(のぶかつ)だという説がある。残党狩りの為城下に火を掛けた所燃え移ったとも、信雄が直接火を掛けたモノともいう。その後は、信忠の嫡男三法師が安土城城主となり、織田家当主となる。その後見役として信雄が入城し、信長廟が築かれたが、どのように復興されたのかは明かでない。しかし、三カ年足らずで豊臣秀吉は安土廃城を決め、近江八幡に新城を築き残存する建物と城下町を移した。また、関ヶ原の合戦以降、家康が大阪方の再利用を配慮し石垣の一部を壊して埋めた為、幻の名城の姿はますます霧の中に遠のくことになる。 |
感想 |
流石知らない人は居ないだろうと思われる安土城は観光客で溢れていました。城攻めブームが起こったのか?と思うほどでした(^^;;; 駐車場は舗装はされていないモノのかなりの台数を収容出来そうです。山の麓も平らに成らされているので家臣団の住居が山全体を覆って居たのでしょう。大手から石段を登ると左右に歴史上の有名人物の伝屋敷跡が有る。石段の一段の高さが高いので非常に登りづらい。真っ直ぐ登って左手に折れ、右手に折れて登っていくと黒金門跡に着く。この付近に居を持っていたのは織田信忠や信澄であるが、そのなかで森欄丸邸がある。信長から信頼されていた証であろうか? そして二の丸の下には織田信雄4代の墓塔がある。更に進むと二の丸に信長廟がある。豊臣秀吉によって作られたと伝えられているが、立派な御廟だと思う。更に進むと千畳敷と言われる本丸跡だ。ここに建物が建っていたと言うのであるから相当大きい規模であったろう。その先に天守台が残っていてココに五重だとも七重だとも言われる城としての一大エポックをもたらせた天守が有ったと思うと、消失して見れないのが残念で成らない。天守閣跡には家族連れでお弁当を広げている姿が目立つ(^^;;; 帰りは搦め手である聡見寺跡を廻って見た。三重の塔と仁王門が残る。歩ける場所が全て石畳である城址はなかなかお目に掛かったことが無かったが、復元したモノなのか? 兎に角、凄いの一言。
安土駅付近に行ったら駅のロータリーにある観光案内所を訪れましょう。喫茶店の様な感じなので入りにくいが(^^;;;
ココには安土山案内図・観音寺山案内図等の資料が有る。必ずGETしましょう。そして駅の反対側には安土町立城郭資料館がある。そこには地下道を通れば直ぐ。安土城1/20の雛形、1/7の雛形がある。後で入場券を見ると撮影禁止と書いてある(^^;;; ビシバシ知らずに撮ってきたがお咎め無し(^^;;; そして、城址の近くには「信長の館」というスペインのセビリア万国博覧会に出展された安土城の五階六階部分を展示している。時間があれば是非訪れたい場所です。 |
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滋賀県安土町町役場
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攻城日 |
01.10.07 |